Tokumeigaijinのブログ

ゲイ外国人の日記

死亡を慣れられなかったうちに入試。

僕の生活を影響した瞬間を述べました。お母さんとお祖母さんの死亡から数月間を過ごした後、とうとう大学入学試験の日時が来ました。

 

 

僕は全く準備する事が出来ませんでした。でもなんとして試験を受かりました。今もびっくりしています。お母さんが助かりましたと思います 。まじで奇跡ですね。

 

 

試験の結果発表によると、私が願った通りに看護学部に入学しました。自信たっぷりで新しい生活を始まるために他の都市へ引っ越しました。故郷からちょいと遠くてちっちゃな都市であります。

 

 

でも願った通りに生活が良くなくなった。あの罰当たりの都市に四年ぐらい泊まりました。本当に淋しくて友達もいなかった。蘇っても嫌いな思い出がいっぱい。

 

お母さんの急逝

お婆さんが死んだから5ヶ月が経ちました。お母さんはお祖母さんの死亡から自分を責めていましたが生活が続いていますと考えていました。


うちでお母さんと妹と一緒に暮らしていました。『夏休みがそろそろ来ますから予定がありますか?』とお母さんが聞きました。妹は『従姉の別荘に行きたい』と答えました。僕は『友人と一緒に時間を過ごしたいから他の都会へ向かうつもりです』と応答しました。


それは嘘でした。躊躇したから正直に言わなかった。実はゲイパレードに行きたかった。でも彼女が落ち込まないように罪のない嘘だったと思いました。


お母さんの逝去まであと3日。
まず、妹が家から出ました。夏休みを過ごすために小さい都会へ向かいました。
誰も知らなかったがあの瞬間は私たち3人が最後の一緒に居た時でした。


お母さんの逝去まであと2日。
僕はゲイパレードに行くために国の最大の都市へ向かいました。お母さんが仕事を行く前に部屋に来て最後のキスをくれました。『いい時間を過ごしてください』と言いました。今もあの瞬間を思い出したら涙ぐみます。


僕は友達の家に着いた時、お母さんは仕事から来ましたそして寛いていました。あの夜は家で一人ぼっちで泊まっていた。一人ぼっちで。。彼女の人生の最後の夜は一人ぼっちで過ごしました。この事に考えてさえも哀れな心が痛みます。


お母さんの逝去まであと数時間。
お母さんは朝早く起きて朝食をして、茶を飲んで家から出ました。 永久に家から出るかどうか、また戻ることができるかどうか彼女が知ってるわけないでしたね。


お母さんは友達3人で休むために地中海に位置した小さなホリデー町に行くために出発しました。遠路でした。行く途中でお母さんから電話があった。短い話でした。『着いたとき連絡します。』と言って電話を切りました。あの瞬間は彼女の声が聞きた最後の瞬間でした。悲しい。


およそ2時間のあとお爺さんから電話がありました。『今どこにいるの?お母さんが乗っていた車が転落したからお母さんは病院に運ばれています、まっすぐ戻ってきて!』と言った途端、絶え間なく泣きました。


最初の便を予約して空港に向かいました。友達が僕に落ち着いてくださいと言ったのにそれはやむを得ないね。


故郷についた時、従兄弟が待っていました。あの瞬間彼の顔からすると、なんとかかんとか訃報を知った。


彼女は他の都市で交通事故で命を奪われました。一人ぼっちで誰も知らない状態で寒い病院の病棟で目を永遠に閉じました。なんて壊滅的な気持ちでした。


お母さんの葬式の数日後妹と一緒に泣き暮らしていました。まるで植物状態でした。


彼女は死んだ時47歳でした。若いうちにこの世を去った。お母さんのことを思い出さない日はありません。天使になった僕と妹を天国から庇っていますね、お母さん。人生が終わるまでどんどんどんどん懐かしくなります。

お祖母さんの死亡

昨日のブログでたくさんがあったから泣きながら起きましたと言いました。その原因の一つを述べたい。

お母さんとおばあさんが相次いで他界しましたから。

 

全てはあの時から始まった。

お婆さんが自宅で突然転倒しました。あの瞬間まで万事が快調でありました。直ぐに救急車を呼んで病院に搬送されましたそして大腿骨の骨折と診断されました。

 

老人介護は困難なのに、お母さんはお祖母さんが寝たきりになったなので死ぬまで面倒を見たりして、看取りしていました。おむつ交換とか沐浴とか大変なことでしたがお母さんはお祖母さんのこと大好きでしたから気にしないで、優しい看護師さんみたいに看ました。

 

退院からほぼ3ヶ月が経ちました後で、ある朝起きて彼女の遺体を見つかりました。笑ったような顔をしていました。

 

35年前に夫が死亡したので、女寡として生活をしていましたそして子供3人を自分で育ていました。お祖父さんと再会したかもしれませんからね、あの笑顔の理由は。僕はそう思います。

 

お婆さん、あなたのこととても懐かしい。出産した時から僕の側に居たくれて心から感謝します。また会って抱き締めたいように願っています。

 

この最低思い出を書きながらなぜか肩の荷が下ります。読んでくれてありがとうございます。

泣きながら起きました。

皆さん、こんにちは。

僕についていくつかの情報です。

・僕は日本人ではありません。欧州連合と関係がある国の方です。

・僕って使うから男の子です。

・30歳まであと4年です。

・僕はゲイです。

 

今朝、朝早く色々の理由のせいで泣きながら起きましたので、何か自分のことや生活について伝えてみたいと思いました。

僕の国の有名な著者が言ったことが訳すとそんなものです、

『書けなかったら、気が変になりそうだった。』

僕も今そう思います。

これからなるべく多くの記事を書いてみたいと思います。日本語は母国語ではないので文法的な間違いがあれば許してください。

宜しくお願いします。