Tokumeigaijinのブログ

ゲイ外国人の日記

お母さんの急逝

お婆さんが死んだから5ヶ月が経ちました。お母さんはお祖母さんの死亡から自分を責めていましたが生活が続いていますと考えていました。


うちでお母さんと妹と一緒に暮らしていました。『夏休みがそろそろ来ますから予定がありますか?』とお母さんが聞きました。妹は『従姉の別荘に行きたい』と答えました。僕は『友人と一緒に時間を過ごしたいから他の都会へ向かうつもりです』と応答しました。


それは嘘でした。躊躇したから正直に言わなかった。実はゲイパレードに行きたかった。でも彼女が落ち込まないように罪のない嘘だったと思いました。


お母さんの逝去まであと3日。
まず、妹が家から出ました。夏休みを過ごすために小さい都会へ向かいました。
誰も知らなかったがあの瞬間は私たち3人が最後の一緒に居た時でした。


お母さんの逝去まであと2日。
僕はゲイパレードに行くために国の最大の都市へ向かいました。お母さんが仕事を行く前に部屋に来て最後のキスをくれました。『いい時間を過ごしてください』と言いました。今もあの瞬間を思い出したら涙ぐみます。


僕は友達の家に着いた時、お母さんは仕事から来ましたそして寛いていました。あの夜は家で一人ぼっちで泊まっていた。一人ぼっちで。。彼女の人生の最後の夜は一人ぼっちで過ごしました。この事に考えてさえも哀れな心が痛みます。


お母さんの逝去まであと数時間。
お母さんは朝早く起きて朝食をして、茶を飲んで家から出ました。 永久に家から出るかどうか、また戻ることができるかどうか彼女が知ってるわけないでしたね。


お母さんは友達3人で休むために地中海に位置した小さなホリデー町に行くために出発しました。遠路でした。行く途中でお母さんから電話があった。短い話でした。『着いたとき連絡します。』と言って電話を切りました。あの瞬間は彼女の声が聞きた最後の瞬間でした。悲しい。


およそ2時間のあとお爺さんから電話がありました。『今どこにいるの?お母さんが乗っていた車が転落したからお母さんは病院に運ばれています、まっすぐ戻ってきて!』と言った途端、絶え間なく泣きました。


最初の便を予約して空港に向かいました。友達が僕に落ち着いてくださいと言ったのにそれはやむを得ないね。


故郷についた時、従兄弟が待っていました。あの瞬間彼の顔からすると、なんとかかんとか訃報を知った。


彼女は他の都市で交通事故で命を奪われました。一人ぼっちで誰も知らない状態で寒い病院の病棟で目を永遠に閉じました。なんて壊滅的な気持ちでした。


お母さんの葬式の数日後妹と一緒に泣き暮らしていました。まるで植物状態でした。


彼女は死んだ時47歳でした。若いうちにこの世を去った。お母さんのことを思い出さない日はありません。天使になった僕と妹を天国から庇っていますね、お母さん。人生が終わるまでどんどんどんどん懐かしくなります。